■■■さよなら子供たち ■■■
『さよなら子供たち』 (Au Revoir Les Enfants)
1987年製作、1988年公開、フランス・西ドイツ映画。
ブルジョアの家に生まれたルイ・マルが、第二次世界大戦末期、11歳の時に、疎開のため田舎にあるカトリック僧院の寄宿舎制私立学校に入ったときの体験を辿った自伝的作品と言える、『さよなら子供たち』。シューベルトとサン=サーンスのクラシック音楽に乗って静かに語られる物語は、少年の日に体験した悲しくも切ない思いを、映画を見る私たちの心にも刻む。ナチス・ドイツによるユダヤ人政策に触れた作品ではあるが、よく語られがちな「悲惨さ」ではなく、子供心にどのように写ったのかという、心理描写を中心に描いている。
監督 : ルイ・マル
脚本 : ルイ・マル
撮影 : レナート・ベルタ
出演 :
ジュリアン・カンタン(ガスパール・マネッス)
ジャン・ボネ(ラファエル・フェジト)
カンタン夫人(フランシーヌ・ラセット)
ジャン神父(フィリップ・モリエ・ジェヌー)
料理番のジョセフ(フランソワ・ネグレ)
Criterion Trailer 330: Au Revoir Les Enfants by YouTube!
1944年10月、学校は再開された。
40年が過ぎた。
わたしは死ぬまで、あの1月の朝を忘れない。
ルイ・マル監督が描く、自伝的色彩が濃厚なナチス占領時代の少年もの。1944年、ナチス占領時代のフランス。パリからカトリック寄宿学校に疎開している12歳の少年ジュリアン・カンタンの学校に、ある日ジャン・ボネという少年が転入してくる。彼は少し変わってはいるが、数学、国語、ピアノなど学業優秀でジュリアンのライバルとなった。初めはどこか打ち解けない2人だったが、次第に連帯感が生まれてきたその頃、ふとしたことからジュリアンは、彼が偽名を使って転入してきたユダヤ人であることを知る……。映画は、彼がユダヤ人であったことを偶然知ってしまったジュリアンの複雑な思い、そしてライバルとして反発しながらも次第に高まりゆく二人の友情を、淡々としながらも詩情溢れる画面から、少年たちの心の動きをくっきりと浮かび上がらせてゆく。本作は、おおげさなアクションや劇的な展開は余りない。しかしそのことがかえって、ラストの悲劇をエモーショナルなものにしているのだ。この作品は、劇中、生活描写と人間関係を専念して描く事により、自分の少年期の微妙なニュアンスを再現している、ルイ・マル監督の自伝的な作品である。
(以下、結末に触れた内容を含みます。)
1987年製作、1988年公開、フランス・西ドイツ映画。
ブルジョアの家に生まれたルイ・マルが、第二次世界大戦末期、11歳の時に、疎開のため田舎にあるカトリック僧院の寄宿舎制私立学校に入ったときの体験を辿った自伝的作品と言える、『さよなら子供たち』。シューベルトとサン=サーンスのクラシック音楽に乗って静かに語られる物語は、少年の日に体験した悲しくも切ない思いを、映画を見る私たちの心にも刻む。ナチス・ドイツによるユダヤ人政策に触れた作品ではあるが、よく語られがちな「悲惨さ」ではなく、子供心にどのように写ったのかという、心理描写を中心に描いている。
監督 : ルイ・マル
脚本 : ルイ・マル
撮影 : レナート・ベルタ
出演 :
ジュリアン・カンタン(ガスパール・マネッス)
ジャン・ボネ(ラファエル・フェジト)
カンタン夫人(フランシーヌ・ラセット)
ジャン神父(フィリップ・モリエ・ジェヌー)
料理番のジョセフ(フランソワ・ネグレ)
Criterion Trailer 330: Au Revoir Les Enfants by YouTube!
1944年10月、学校は再開された。
40年が過ぎた。
わたしは死ぬまで、あの1月の朝を忘れない。
ルイ・マル監督が描く、自伝的色彩が濃厚なナチス占領時代の少年もの。1944年、ナチス占領時代のフランス。パリからカトリック寄宿学校に疎開している12歳の少年ジュリアン・カンタンの学校に、ある日ジャン・ボネという少年が転入してくる。彼は少し変わってはいるが、数学、国語、ピアノなど学業優秀でジュリアンのライバルとなった。初めはどこか打ち解けない2人だったが、次第に連帯感が生まれてきたその頃、ふとしたことからジュリアンは、彼が偽名を使って転入してきたユダヤ人であることを知る……。映画は、彼がユダヤ人であったことを偶然知ってしまったジュリアンの複雑な思い、そしてライバルとして反発しながらも次第に高まりゆく二人の友情を、淡々としながらも詩情溢れる画面から、少年たちの心の動きをくっきりと浮かび上がらせてゆく。本作は、おおげさなアクションや劇的な展開は余りない。しかしそのことがかえって、ラストの悲劇をエモーショナルなものにしているのだ。この作品は、劇中、生活描写と人間関係を専念して描く事により、自分の少年期の微妙なニュアンスを再現している、ルイ・マル監督の自伝的な作品である。
(以下、結末に触れた内容を含みます。)
この映画のタイトルになっている、「さよなら子供たち」とは、ユダヤ人生徒を匿った罪で逮捕されてゆく校長のジャン神父が、見送る生徒たちに掛けられた言葉に応えた「さよなら子供たち、また会おう」というセリフから来ている。しかしこれは、この映画において、単なる「神父に対する別れの言葉」ではなく、それまで知ることのなかった世界(現実)があることに気付いてしまったことによる、「少年時代への別れの言葉」でもあることに気付くだろう。以下、宮崎駿さんの言葉を引用して紹介する。
********************
すこやかな子供達の笑顔は素晴らしい。のびのびとした子供達に出会うと世界を祝福したくなる。同時に、悲劇のただ中で世界を凝視している子供達の瞳に出会うと、激しく心をひかれてしまう。何故だろう。土門拳が荒廃する炭坑地帯を撮った『筑豊の子供たち』の少女の瞳に、悲惨さを超えた精神性を感じてしまうのは何故だろう。
記憶にとどめないずっと以前に、自分達はかつてこの世界を同じような眼差しで見つめた経験を共有しているからなのか。心のずっと深いところに、空気の粒子の一粒一粒の結晶が、肌にじかにふれる痛みと寒さをはじめて体験した時の記憶が、生存の基調として敷きこまれているからだろうか。
幸せな記憶は、不幸にして多くは形に残らない。世界の敵意や、奥深い悪意に出会った時の記憶の方が、どうやら自分達の性格を形成する力があるようだとも思う。
幼年期から少年期に移行する時、子供達は家庭や親や兄弟よりも、更につかみ所のない社会とやらに出会わなければならない。映画『さよなら子供たち』の監督ルイ・マルがいうように、自分と自分の職業を決定づけた出来事や言葉に出会うのである。その瞬間、かい間見る世界の奥深さに少年の理解が届くはずがない。人生の終りに近づいて、ようやくその出来事の意味が自分の形成にどう影響したかを理解するようになるにしても、その瞬間、少年は立ちすくみ、張りつめて凝視するだけなのである。
映画「さよなら子供たち」がすぐれた作品となっているのは、世界の奥深さをかい間見る瞬間の少年を描くのに成功しているからだ。
参考 :
Variety Japan さよなら子供たち
関心空間 さよなら子供たち
ヒビコレイエイガ さよなら子供たち
お勧め戦争映画 : 亀も空を飛ぶ
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すこやかな子供達の笑顔は素晴らしい。のびのびとした子供達に出会うと世界を祝福したくなる。同時に、悲劇のただ中で世界を凝視している子供達の瞳に出会うと、激しく心をひかれてしまう。何故だろう。土門拳が荒廃する炭坑地帯を撮った『筑豊の子供たち』の少女の瞳に、悲惨さを超えた精神性を感じてしまうのは何故だろう。
記憶にとどめないずっと以前に、自分達はかつてこの世界を同じような眼差しで見つめた経験を共有しているからなのか。心のずっと深いところに、空気の粒子の一粒一粒の結晶が、肌にじかにふれる痛みと寒さをはじめて体験した時の記憶が、生存の基調として敷きこまれているからだろうか。
幸せな記憶は、不幸にして多くは形に残らない。世界の敵意や、奥深い悪意に出会った時の記憶の方が、どうやら自分達の性格を形成する力があるようだとも思う。
幼年期から少年期に移行する時、子供達は家庭や親や兄弟よりも、更につかみ所のない社会とやらに出会わなければならない。映画『さよなら子供たち』の監督ルイ・マルがいうように、自分と自分の職業を決定づけた出来事や言葉に出会うのである。その瞬間、かい間見る世界の奥深さに少年の理解が届くはずがない。人生の終りに近づいて、ようやくその出来事の意味が自分の形成にどう影響したかを理解するようになるにしても、その瞬間、少年は立ちすくみ、張りつめて凝視するだけなのである。
映画「さよなら子供たち」がすぐれた作品となっているのは、世界の奥深さをかい間見る瞬間の少年を描くのに成功しているからだ。
(宮崎 駿)
参考 :
Variety Japan さよなら子供たち
関心空間 さよなら子供たち
ヒビコレイエイガ さよなら子供たち
お勧め戦争映画 : 亀も空を飛ぶ
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2008/08/16(Sat) 19:38:15 | Heaven of the Cinema
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